単独取材。復帰!華原朋美(33歳)密着!消えた5年半激白、失恋、解雇、睡眠薬、閉鎖病棟にエンタメ歌手|ノンストップ!トピックス



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単独取材。復帰!華原朋美(33歳)密着!消えた5年半激白、失恋、解雇、睡眠薬、閉鎖病棟に

昨日午後9時ごろ
2012FNS歌謡祭

 

♪I'm proud

 

5年半ぶりに復活

 

歌手・華原朋美(38歳)

 

 

 

華原「本当に、ほんとにダメな自分だったので
   初めは自分の今までリリースさせて頂いた曲を
   聞くのも本当につらかったんですね」

 

 

空白の5年間何をしていたのか?

 

 

詳細は続きから


閉鎖病棟の生活

 

華原「いろんな幻覚が見えてしまって
   本当に二度と帰りたくないです」

 

 

薬からの卒業

 

華原はずっと歌い続けていた。

 

 

華原朋美38歳5年半ぶり芸能界復帰に密着。

 

 

昨日、復活当日の朝。

 

華原「おはようございます」

 

 

Q昨日は眠れましたか?

華原「はい、寝ました ばっちりです」と笑顔

 

 

車の中で

 

華原「今日が、華原朋美復活の日です。頑張ります」

 

 

華原朋美今までの経歴

 

♪I BELIEVE(1995年)

 

1995年 20歳の時華原朋美の芸名でデビュー
        最優秀新人賞を総なめ

 

1996年5月華原インタビュー
「(ヒットは)すごいことだなって言葉に言い表せない感じです」

 

♪I'm proud(1996年)

 

連続ヒット、「朋ちゃん」の愛称で親しまれる

 

しかし、4年間交際し、公私ともにパートナーだった小室哲哉と破局

 

24歳で経験した、失恋、不安

 

 

華原は病院に通い始め、医師から処方を受けた睡眠薬や精神安定剤を過剰摂取

 

 

Qその当時 薬に依存している実感は?

 

華原「あの時はないです。麻痺しているのでないんですね。
   つらかったし、寂しかったし、悲しかった

 

   それ(薬)しかないと思っていたから」

 

 

1999年1月 ガス中毒で病院へ搬送

 

1999年復帰会見するも、乗馬スタイルで

 

華原(当時24歳)「元気です。」とうつろな瞳で答えた。

 

 

1999年〜2007年 仕事をドタキャンするなど問題行動を起こす。

 

2007年6月 所属事務所を解雇される

 

 

 

表舞台から姿を消していた5年半に何があったのか?

 

華原「自分でこれがまともなんだと思っても
   まともではないので、何を考えていたのかよくわかりませんね」

 

 

Q芸能界に復帰したいという焦りはあった?

 

華原「いや〜もうそういうことを言える状況ではないし
   復帰がしたいという思いがたとえあったとしても
   それがうまく伝えられてる状況ではなかったと思うし

 

   始めはほんと自分のリリースした曲を聴くのもつらかったんですね」

 

 

2010年夏 彼女の行動が手に負えなくなった家族は彼女を隔離病棟への強制入院させた

 

華原の部屋には、トイレ、洗面台、机、ベット。人が生活する最低限のものしかない

 

およそ2か月の療養

 

 

華原「いろんな幻覚が見えてしまって大変でしたけど
   本当に厳しかったです
   もちろんテレビも見られないし
   誰とも会話ができないんで
   看護婦さんもそばにはいてくれないし
   (ドアは)内側にノブがないので出られないんです。隔離病棟ってやつなんで

 

   飲み物は水かお茶です。
   お茶も配られる時間が決まっていて
   一日2回か3回しかお茶の支給がないんですけど

 

   誰かと話したいと気持ちも伝えられないし

 

   ノートとペン渡されて
   「薬に依存してしまうのは何でなのか?」という宿題を出されたりとか

 

   「そんなの分かんないよ」って勢いよく言うんですが
   反抗すると拘束されたりするので、腕とか

 

   本当に二度と帰りたくないです」

 

 

 

2010年退院当日

 

薬への依存を根絶するため家族の判断で父が住むフィリピンへ。

 

一年父と過ごした華原

 

最初の半年間は引きこもりがちだったというが

 

華原
「3食一緒に食事をするとか
 その中で普通の会話をして
 自分を温めてくれた

 

 一歩ずつ一歩ずつ前に向かっていけたのは
 自分自身もうれしかったです

 

 もう一度歌手を目指してみようを思ってお父さんに相談して
 「復帰できるかはわからないけど、目指すことは悪いことではないから
  目指してみよう」って」

 

 

 

 

 

フィリピンから帰国した華原は

 

復帰への第一歩として兄が経営する高齢者住宅でお手伝いを始めた

 

華原
「私聞くんですよ

 

 私は今まで色々な人を傷つけたし
 いろんな問題起こしたから歌手に戻れないと思うんだけど
 おばあちゃんどう思う?と聞くと

 

 「大丈夫だよ
  私の方がもっといろいろあったよ」って
 「人間はいろいろあるから人間なんだよ」って、そういわれると「そっか」って

 

 手伝うんじゃなくて、私が励まされて」

 

 

高齢者住宅で施設のカラオケ大会の日の華原

 

華原「私のこと覚えてる?後で一緒に歌おうか」

 

華原「今日はカラオケの日だからね」

 

と声をかけ、十数人のおばあちゃんと一緒に歌う華原朋美。

 

衣装もおめかし。

 

華原「ねえおばあちゃん、今から映る映像は私なの
   だからよく見ていて」

 

とI'm proudを入れる華原。

 

モニターには輝かしいころの映像が。

 

おばあちゃんの前で歌う華原。手拍子するおばあちゃん。

 

華原に勇気を与えてくれた。

 

自分を応援してくれる人がいる。そのことを考えると涙が出た。

 

 

 

今年夏、事務所社長に送った手紙

 

「尾木会長が華原朋美の復帰を考えてくださるのでしたら
 私は最後のチャンスに向かって頑張りたいんです!!
 もう同じようなご迷惑は一生涯かけません

 

 私人生やり直したいです」

 

 

過去の楽曲への愛や感謝

 

「自分の曲はほぼ毎日聞いていますが、
 改めて全曲聞いてみると本当にたくさんの素晴らしい曲があって
 一曲一曲に思い出があって今はすごくすごく愛しく思えて感謝できるんです」

 

 

 

過去の過ちへの反省

 

「私、本当に馬鹿だった。そう思います。
 裏切ったり嘘ついたり傷つけたり
 そんなことばかり繰り返してしまったけど、
今は家族の支えがあって強い気持ちをもって前向きに頑張ってます!」

 

 

5枚の便せんに、本人の直筆で復帰への想いがつづられていた。

 

 

華原「こんな問題児を助けてくれる人は尾木社長しかいない
   何度も救ってくれるんです。
   何度も信じてくれて、何度も私が裏切るんですよ。

 

   今回は本当に絶対に最後です。その思いだけでやってきたところがあったので」

 

華原の瞳に涙が、しかしこらえて

 

華原「ほんとだめですね、でも受け入れていただいてほんとありがたいなと思います」

 

38歳にしてつかんだ復帰への道

 

 

 

尾木社長が復帰を認めた理由

 

・心から反省している

 

・歌で復帰を熱望

 

・家族への想い

 

手紙だけでなく、自分で録った歌入りのCDも送られてきたそう。
尾木社長は昔から「君は歌うことが天命だ」と伝えていた。歌いたいという気持ちがうれしかった。
家族の支えによって復活した華原朋美がもうその期待を裏切ることはないだろうと判断した。

 

 

FNS歌謡祭当日

 

華原「ほんとに夢なんじゃないかと思いますね、
   実現できるように頑張ってきましたが

 

   精一杯歌います」

 

午後9時ごろI'm proudを歌う華原。

 

高齢者住宅のおばあちゃんたちはメガホンを持って応援していた。

 

 

 

設楽「壮絶ですね、白鳥なんてどんぴしゃ」

 

白鳥「そうです朋ちゃん世代で、いまだにカラオケで歌っていて復帰してくれてうれしいです」

 

設楽「閉鎖病棟、睡眠薬とか違法なものを摂取したわけではないんですけど
   ああいうところに入ってまで絶つ。衝撃的でしたね。」

 

設楽「芸能界の頂点を極めて、高いところから落ちるほどケガをする
   それはもう這い上がるのは自分の努力しかないし
   でもそうすると周りの人がサポートしてくれるんですよね」

 

西山「華原さん自身も、自分がどん底から復帰したことを
   今同じような苦しみの中にいる人が見たら、
   勇気に変えて思ってくれるんじゃないかという思いを込めて
   頑張っていらっしゃるそうです」

 

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